以前ご紹介いたしました「身八つ口」と「おはしょり」のお話の続きです。
下の図は江戸時代天和三年(1683年五代将軍綱吉の時代)に京都で出版された怪談集「新御伽碑子(しんおとぎほうこ)」に添えられた挿絵です。
一枚目のこちらを見ていただくと、振袖を着た人物と小袖を着た人物が登場しています。
1番の人物は実は妓楼の客で男性です。
振袖の着物を対丈に着ているこの姿はいわゆる「若衆姿」というもので、正式な元服前の前髪のある若者が袖長の着物を着るのです。こうなると、男性でも身八つ口のある着物を着る特殊なケースがあることが分かりますね。
2番の人物は長崎の遊女です。
彼女とその左下の髪を下ろしている新造と思われる若い遊女は袖長の着物でもちろん身八つ口があり、裾は長く引きずるような着方です。
3番の人物はおそらく遊女の世話をする女性で、女性ですが身八つ口のない小袖を着て裾も対丈です。
4番の人物は客の男性ですが、1番の人物とは違い身八つ口のない大人の男性の着る着物を着ています。左側にいる二人の男性も同様です。
こちらの図でも同様のことが分かります。
1番の女性はやはり遊女です。袖長の着物を着て、身八つ口があるのが分かります。
となりに座っている4番の男性は妓楼の客ですが、こちらは大人の男性なので着物は小袖で、身八つ口はありません。
2番の女性はおそらく妓楼の女将です。身八つ口のない小袖を着ていますが、最初の図の3番の女性と違って裾は長く引きずっています。そのためおそらく妓楼の女将のような裕福な女性と考えられます。
3番の女性は同僚の遊女か先述の新造といわれる若い遊女なのでやはり袖長の身八つ口のある着物で裾も長く引きずっています。
この2枚の図版から考えますと、どうやら少なくとも江戸時代中期には、「身八つ口」のある着物を着ているのはどちらかというと若い女性と元服前の若衆で、既婚女性などは身八つ口のない小袖を着ていたようです。ということは女性だから身八つ口があるというものでもなさそうですね。
また、女性ではその人の暮らし向きや状況によって裾の長さも変わるようですが、少なくとも男性は常に対丈の着物を着ているようです。
確かに、幕末の大奥の女性が着ていた小袖には身八つ口のないものがあります。
女性の着物に必ず身八つ口があるというのは庶民から発生して明治以降に全ての階級に定着したものという仮定も立てられそうです。
その理由は、はじめの記事のときにお話したように着くずれを直す便利からということだと思います。
最後にお見せするのは怖い鬼になってしまっている本妻さんとお妾さんが男性を取り合っている図ですが、二人とも小袖を着ていますね。
注目していただきたいのは矢印で示した部分です。
相応の暮らしをしている女性なので裾はおそらく長いと考えられます。その長い裾を、鬼になって山越え谷超え男性を追いかけるためにしごきと呼ばれる紐を帯の下にかけて着物を短く調節し、手繰った部分がここに風船のように出ているのです。
江戸時代まではこのようにして長い裾をからげ、動きやすくしていたのですね。
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