江戸時代、今で言うファッション雑誌の役割をしたのは錦絵、すなわち今で言う浮世絵です。
テレビも映画もない時代、人々はそれでも敏感に流行を追い求めました。そしてそれを発信していたファッションリーダーだったのは吉原の花魁や各色町の女芸者衆、そして何よりも歌舞伎役者たちだったのです。
歌舞伎の人気役者は芸に秀でているだけではなく、衣装の趣味も江戸好みを代表する粋の最先端。今でもきっと見たことのある模様や色にその名を永遠に留めています。
芝居を見に行った人はもちろんのこと、芝居小屋で目の当たりにできなかった人も錦絵に描かれた役者の風俗をこぞって取り入れ、おしゃれを競い合いました。
そんな役者模様の代表格をいくつかご紹介いたしましょう。
◆市松模様
有名な喜多川歌麿の錦絵「びいどろを吹く女」の女性がまとっている小紋。この色違いの正方形を互い違いに並べた模様、誰でも目にしたことのある模様です。欧米ではチェス盤の模様と同じであることから「チェッカー」などと呼ばれています。
現在でも花模様などの別の模様と組み合わせたりと、実によく着物の柄として用いられる模様ですね。
この「市松」ですが、実は江戸時代享保~寛政期(八代将軍吉宗のころです)に上方から江戸へ下ってきた歌舞伎役者佐野川市松が好んで用いた衣装の柄として爆発的に人気が出た模様なのです。
佐野川市松の「祇園町白人おなよ」↓
上の写楽の絵だと、写楽らしく身も蓋もない表現ですが、この佐野川市松は「市松人形」の原型としても有名で、つまり大変な美形で愛らしい顔立ちのトップスターだったのでしょう。
もともと上方から下ってきた女形の佐野川市松ですが、正方形をつなげた市松模様のシンプルさは江戸っ子の心をとりこにしてやみませんでした。現在でもちょっとかっちりしたマニッシュな印象であったり、花などの模様と組み合わせた女らしいものであったりと、応用も利きやすく普遍的な模様になっているということです。
◆鎌輪ぬ・三升
7代目市川団十郎は歌舞伎十八番を体系化した役者として歌舞伎の歴史に並びない名優です。「三升」は大きさの違う正方形を三つ入れ子にした男性的な力強い模様で成田屋(市川団十郎の屋号)の定紋として上図の「暫」の衣装にも用いられています。三升は散らしたり、格子にしたりとさまざまなバリエーションで江戸っ子好みの模様として用いられました。
荒事を得意にし、人間的にも豪放磊落にして洒脱であった江戸を代表する人物七代目市川団十郎は、そのほかにも江戸初期に「かぶきもの」と呼ばれるとっぴな風俗をする奴たちに好まれた鎌と輪と「ぬ」の字を組み合わせた判じ物模様「かまわぬ」を復活させて大流行させました。
これらの模様は荒事の得意であった市川団十郎のように、どちらかというと男性に好まれましたが、張りと意気地を大事にする江戸の女性たちにも支持されたようです。
そのほか、
三世尾上菊五郎考案の「斧琴菊(よきこときく)」(横溝正史氏の推理小説でもおなじみですね)
↓
一世中村芝翫の「芝翫縞」など、手ぬぐいの柄などにも数多く残っています。
手ぬぐいやさんなどで見つけてみるのも楽しいかもしれません。
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